先月、我が家の近くにサクランボが実をつけていた。
この木は毎年実をつけて、子供達は、家主さんに言って取らせてもらったりしている。
我が娘も、以前は取らしてもらっていた。
最近、町中を歩いているとビワやグミが実をつけだしている。
私は、仕事柄、色んな地方に出張に行く。
そして、何処に行っても、一日、10,000歩以上を歩くということを欠かさない。
この日課は、その街の名産は何か?
抗酸化が活かせないか?
どういう家作りなのかとか・・・
散策しながら、仕事に結びつけないかを思案するために、十数年前から初めて、やめられなくなってしまったものである。
そのため、色んな物を見ながら、あるいは写真に撮りながら歩くのが習慣になっている。
東京、大阪、名古屋の都会でも、町中を歩いていると、色んな果実がなっていることに気付く。
冬から春先にかけてはキンカン。
春から初夏にかけてはサクランボ。
そして、上にも書いたが、今の時期であればビワやグミ。
夏には桃。
秋には柿や栗。
冬には柑橘類。
これらを農地ではなく、民家の庭先で見かけるのである。
これらの果実に肥料や農薬を使用しているとは思えない。
だが、無肥料・無農薬で虫や病気の害に悩まされることなく、実をつけているのである。
何故、身近にこんなに良い手本があるのに、農地には肥料を撒いて、農薬を投与するのだろう?
我々は、勝手に農地にして、肥料や農薬を放り込んで、作物を作り、自然をコントロールしていると錯覚している。
6月5日の毎日新聞に、「害獣駆除中に2人死亡 仲間を誤射し自殺か」という記事を見つけて、凄く違和感を覚えた。
亡くなったお二人にはお悔やみを申し上げるが、害獣とは何なのだろう?
鹿や猿や猪が畑を荒らし、農作物の被害を受ける。
狸やイタチによって、家畜や養殖魚などが被害を受ける。
モグラなどが芝生に穴を開ける。
鳥や猫が糞尿をする。
そんな言葉を耳にする。
確かに、被害を受けているのかもしれないが、その環境は、元々人間のものだったのだろうか?
創造と破壊は同じである。
人間が何かを創造することにより、何かが破壊される。
未曾有の地震、台風、水害、干害のニュースがテレビや新聞で取り上げられる。
その度、我々は身勝手な創造をやめて、自然と対話するべき時に来ているのではないだろうかと思う。
少し農業から脱線してしまったので、今日はこれまでにしとこう・・・。