「真実の口」2,246 阪神淡路大震災から 30 年

今日で阪神淡路大震災から 30 年が経過する。

あっという間の 30 年だった。

当 Blog で何度も書いているが、当時、私は外資系の保険会社で働いており神戸支社勤務だった。

1995 年(平成 7 年) 1 月 17 日 5 時 46 分 52 秒、地震発生。

当時も今も、私は、大阪府寝屋川市に住んでいるのだが・・・。

地震当時住んでいた家は 3 階建ての一戸建てで、寝室は 3 階だった。

グラグラグラグラッ・・・。

家中が軋むような轟音で目が覚め、横に暫く揺れたかと思ったら、下からドーンと突き上げるような揺れが続いた。

その間、約 20 秒・・・。

体感的には、数分以上揺れていたように感じた。

以前も書いたが、高校までを長崎県五島市で過ごし、大学を福岡で過ごした私は、地震を体験したことがなかったため、何が起きているのかさえ理解できなかった。

揺れが収まると、突然の静寂。

「地震?」

隣で寝ていた嫁を確認する。

無事なことを確認して、ダッと飛び起きる。

電気を点けてみるが、点かない・・・。

真っ暗な中、階段の壁を両手で探りながら、2階へ下りてみる。

暗くて状況が把握できない。

更に、階段の壁を両手で探りながら、1 階へ下りて、玄関から外に出てみる。

特段、変わった状況は無かった。

家の中へ戻り、リビングへ戻ると、嫁もリビングに降りて来ていた。

当然だが、テレビが点かないので情報の収集しようがない。

当時、携帯電話は、仕事柄持っていたが、今でいうガラケーであり、スマートフォンのように情報の収集は出来ない、

暫くして、電気が点くようになった。

テレビでは、緊急速報が流れていた・・・。

しかし、テレビ局でも情報を掌握できていないようだった。

「震源は淡路島 震源の深さ20km,地震の規模は マグニチュード7.2」

続いて、「神戸震度 6 」と「津波なし」という情報は理解できた。

同僚や契約者は大丈夫だろうかと頭によぎる。

取り敢えず、当時の営業所長に電話してみる。

電話は繋がった。

自分は大丈夫とのことだった。

私の勤める会社では、本来は月曜と木曜が出社日になっていたのだが、 1 月 17 日は、前々日が成人の日で、月曜日が振替休日になっており、火曜日が出社日となっていた。

また、その日の出社等に関しては、後で連絡するということで電話を切った。

それからテレビで流れてくる映像を見て、仕事どころではないなと実感した。

被害状況は・・・。

【人的被害】
死者: 6,434 人
行方不明者: 3 人
負傷者: 43,792 人
避難人数(ピーク時): 316,678 人

【住家被害】
全壊: 104,906 棟
半壊: 144,274 棟
全半壊合計:約 46 万世帯
一部損壊: 390,506 棟

【火災被害】
全焼: 7,036 棟
焼損棟数: 7,574棟
罹災世帯: 8,969世帯

【その他被害】
道路: 7,245 箇所
橋梁: 330 箇所
河川: 774 箇所
崖崩れ: 347箇所

【被害総額】
約10兆円規模

1923 年に発生した関東大震災以来の都市直下型地震で、観測史上初の震度 7 を計測した。

現在は、計測震度により自動的に観測され、地震速報として我々に伝えられているが、その当時は、気象庁職員が体感や現地の被害状況を元に震度を決めていた。

震度 7 が発表されたのは、現地調査を行い 地震の 3 日後だった。

阪神淡路大震災以降、色んなことが変わった。

初動対応が遅れたことが問題視されたため、官邸における緊急参集チームの設置等の政府の初動体制の整備がされた。

建物の倒壊による死者が多かったため、建築物の耐震改修促進法が制定された。

当時は震災で住宅を失った者であっても私有財産に公費を投じるという考えはなかったが、これに対して公的補償を望む声が多数あり、被災者生活再建支援法が制定された。

災害ボランティアの受け入れ体制の整備がされた

DMAT (災害派遣医療チーム)が設立された。

地震の震度階級が、「震度 0 」「震度 1 」「震度 2 」「震度 3 」「震度 4 」「震度 5 弱」「震度 5 強」「震度 6 弱」「震度 6 強」「震度 7 」の 10 階級評価に変わった。

etc・・・。

今では、ドラマ等でも観るようになったが、トリアージもこの震災からである。

トリアージとは、災害時発生現場等において多数の傷病者が同時に発生した場合,傷病者の緊急度や重症度に応じて適切な処置や搬送をおこなうために傷病者の治療優先順位を決定することを言い、フランス語の trier からの派生語で、「選別する」という意である。

トリアージ

我々は、阪神淡路大震災以降も大きな地震に見舞われている。

震度 7 以上の

以下は 1996 年以降に発生した最大震度 6 弱以上の地震である。

最大震度 7 の地震
熊本地震では、 2 度の震度 7 が観測されているので、震度 7 の地震を 6 回経験している。

いずれも記憶に残っているのでは無いだろうか?

更に、最大震度 6 弱以上の地震は震度 7 を除外すると、 39 回も発生しているのである。

1 月 13 日にも、宮崎の東南東 20km 付近でマグニチュード 6.6 最大震度 5 弱の地震が発生した。

自然災害に立ち向かう術は無いのか・・・?

我々は自然の驚異を受け入れるしかないのか・・・??

もし、自然の調和を保つことで、災害を減らすことが出来るとしたら・・・???

何か答えが見つからないだろうか・・・????

この星に住む生き物の生命を救う術があるとしたら・・・?????

答えは・・・多分・・・ある・・・。