「真実の口」2,112 ‟がん”という病 59 ~余命宣告~

前回の続き・・・。

長きにわたり、‟がん”に罹った時に知っておいた方が役に立つだろうことを UP してきた。

今回は、映画やドラマのなかで行われる「あと〇年です・・・。」などという余命宣告について寄稿したいと思う。

‟がん”に罹った場合、誰もが、「あと何年生きられるのだろうか?」ということが頭をよぎるのではないだろうか?

12 月 14 日(木)配信の PRESIDENT Onlione で以下のような記事が掲載されていたので紹介する。

多くの人は「余命 1 年」の意味を誤解している…現役医師が語る「余命宣告があまり当たらない」理由

この中で、内科医の名取宏医師は「余命をきっちり当てることのできる確率は非常に低い。あくまで目安と考えなくてはいけない」と語っている。

余命宣告が本当に信頼できるものなのか?

判断基準が分からない?

余命宣告とは、いつ・どういうタイミングにされるものなのか?

医師はどのような基準から余命を判断しているのか?

まず、第一に余命宣告の基準には決まったルールがないという・・・。

余命宣告の時期や内容は、医師の判断によって大きく異なり、 3 ヶ月と短く伝える医師もいたり、 3 年と長く伝える医師もいたり、あるいは、一切余命宣告をしないという医師も少なくない。

これは、医師の経験や専門知識、そして個々の様々な判断基準が存在しているからに他ならなず、宣告される期間が「大体の目安」であり、正確な数字を示すものではないためである。

一般的に医師は病気の進行状況や病気生存率、治療の反応、過去の症例などの経験値から、患者様の状況を導き出していくそうだ。

また、年齢や一般的な健康状態、合併症の有無、治療の効果や副作用など、様々な要因を踏まえた上で、総合的な判断を行う。

ルールがあるわけでもなく、明確な基準があるわけでもないのに、何故、余命宣告をするのだろうか?

余命宣告が行われる理由の一つに、患者やその家族に心の準備をさせる意味合いがあるという。

突然の死や急な病状の悪化に対して、家族が納得しづらい場合や疑念を抱くことを防ぐため、ある程度の前触れとして伝えられることが多いそうだ。

がん治療中の患者において、余命宣告が行われる時期は、治療の効果が不十分であったり、治療の選択肢が限られてきた場合に多く見られるそうだ。

私の兄の場合は、手の施しようがないと言う状況からの余命半年ということだったのだろう。

余命宣告は、患者や家族にとっては困難な時期を迎えるという究極のサインとなるわけだが、ある意味、医師からの口には出せない思いがこもったメッセージなのかもしれない。

生存曲線という言葉を聞いたことがるだろうか?

学会や病院では、様々な種類の‟がん”の病期別に患者がどれくらい生きたのかというデータを集計し、グラフ化しているのだが、これを生存曲線という。

生存曲線というのは、横軸に時間、縦軸に生存割合をグラフ化し、最初は生存割合は 100% で、時間が経つに従って徐々に減っていく。

下記は、説明するための架空の生存曲線なのだが、多くの進行がんはこのような形になるのは想像に難くないと思う。

生存曲線の例

100 人の患者のうち、 50 人は 1 年以内に亡くなり、 50 人は 1 年以上生きていることが分かる。

つまり、 1 年生存率は 50% ということなる。

言い換えれば、100 人の生存期間の中央値は 1 年間ということである。

もう少しグラフを読み込んでいくと、半年後の生存率は約 70% になっている。

つまり、 約 30% は半年以内で亡くなっているということになる。

逆に、 2 年後の生存率を見てみると、約25% になっている。

るまり、生存期間の中央値である 1 年を余命判断の基準に考えると、この 25% の人にとっては、余命宣告が外れたと言うことになるのだろうか?

仮に ±2 ケ月間の誤差の範囲内であれば余命予測が当たったとすると、当たる確率は 12% 位になるそうだ。

更に、データとして集計されるときに、その調査が対象とする病気以外の情報は組み込まれていないのが現状である。

例えば、同じ「肺がん・ステージ 4 」でも、高血圧や糖尿病といった持病のある 80 歳の患者と、他には何も病気がない 40 歳の患者では余命にかなり差が出てくるのは想像に難くない。

つまり、医師にとっても、目の前の患者の余命を正確に当てるのはきわめて困難ということになる。

‟がん”といった大量のデータがある病気でもこれだけ余命予測が難しいのであるから、利用可能なデータがあまりない難病では、臨床医の経験だけが頼りということになる。

そして、この余命宣告に基づく判断材料は、「標準治療の結果だけを基に判断」しているという‟落とし穴”があるということを知っておいた方が良い。

次回へ・・・。