「真実の口」2,062 ‟がん”という病 《別稿》

既報どおり 8 月 21 日に私の兄・佐々田眞人が他界した。

63 歳だった。

奇しくも母が他界した歳だ。

4 年半前に‟がん”が発見され、その時には余命半年と告知された。

取り除ける患部を手術で取り除き、その後は出来得ることをした。

試作品である‟飲む抗酸化溶液”を 1 日 1 杯飲んだり・・・。

深遠~吸入用~を吸引したり・・・。

KAN-GEN-KUN で抗酸化浴したり・・・。

そのお陰か、この 4 年半を充実して過ごせたようだ。

山下達郎のライブに行ったり・・・。

花田省吾のライブに行ったり・・・。

小旅行に仲間と出かけたり・・・。

亡くなる一月前くらいからだろうか?

パンが食べたい・・・。

梨が食べたい・・・。

等々を私に言うようになった。

私は、青森のこむぎっこさんのパンを取り寄せ、熊本の毎床すなお梨園の梨を取り寄せ、どちらも抗酸化仕様の食べ物を口にさせてあげることが出来た。

そして、亡くなる 4 日前にはゆっくりと会話することもできた。

腫れた足に痛快を塗布してもやった。

まだ、会話が普通に出来たので安心して大阪に帰った。

1 人で五島に住んでいる父親もその翌日に会えて、会話をすることが出来たようだ。

その日の午後 11 時 11 分に私の携帯に電話が入っていた。

私は、親友の還暦祝いで飲んでいたため電話に気づかず、翌朝、電話をしたが流石に電話にでることは無かった。

何が言いたかったのか心残りがある。

亡くなる当日も朝は看護師と普通に会話していたらしいが・・・。

そこから血圧が低下して急変したらしい。

義姉から電話が入り、覚悟はしていたのだが、病院に駆け付けた義姉と甥っ子も最後の会話は出来なかったらしい。

2023 年 8 月 21 日・午後 12 時 45 分

兄はこの世を去った。

最後まで人のことを気遣っていたようだ。

看護師用長にゼロ磁場カードを渡してくれ。

〇〇さんと▽△さんを◇◇鮨に連れて行ってやってくれ。

お通夜と告別式にも多くの人が足を運んでくれた。

多くの人に影響を与えていたようだ。

「面白い人生やったよ」

兄が残した言葉である。

兄貴、お疲れ様・・・。

ゆっくり休んでくれ・・・。